Occupy Wall Street

「ウォール街を占拠せよ」の運動が世界的に広がってきています。若者たちの反乱がついに始まったって感じです。
ウォール街ズコッティ・パークの映像を見ていると、半年ほど前のエジプトタハリール広場の映像がだぶってきます。
若者が広場に集結して主張を繰り広げるところを権力側が力で静止しようとしています。若者たちが敵視する権力者は政治的な独裁者から、経済的な独裁者に変わりましたが、独裁者を中心とした政治経済システムそのものが弱者を搾取する形になっていることはアメリカもエジプトも全く変わりがないように見えます。その政治体制が築いてきた金・権力・政治体制を認めようとしない大衆の動きを力で封じ込めようとする様子からは、独裁国家といわれる国も民主国家といわれる国も本質の部分では変わりのないことをよく示しています。
海外での民主化には理解を示す欧米各国が自国の民主化、選挙制度と言った形式上の民主化ではなく経済実態の民主化、に舵を切ることになるのか注目しています。

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立山で雷鳥を見ました

お盆休みを利用して立山に行ってきました。
2泊3日の旅行でしたが、残念ながら山の上は毎日が一面の霧。目の前にあるはずの立山も3日目の帰りがけ、バスに乗る寸前に一瞬晴れた霧の間から見えた程度で終わってしまいました。
その一方で、初日から雷鳥を目の前で見ることができました。立山から天狗平に向かう遊歩道で、ほんの数メートル先を雷鳥の親子(母鳥1羽、雛2羽)が横切っていきました。天気があまり良くなかったのが幸いしたのかもしれません。
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翌日も、翌々日も雷鳥の姿を見かけませんでしたので、きっとラッキーだったのだと思います。

立山から下りてくると、そこは富山平野です。立山駅から富山駅へ向かうローカル線の回りは、広々とした水田に稲穂が実を付け、野菜や果物が青々と育つ別世界。一面に高山植物が広がる立山周辺と違って実に生産的な景色にかえってほっとしました。立山周辺の非日常の世界よりも里山の方がずっと居心地が良いことに改めて気が付いた瞬間でした。


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島田紳助さんの会見で

前回に続いて山歩きのたとえ話になってしまいますが、島田紳助さんの引退会見で引用された武田鉄矢さんの言葉、『山はてっぺんまで登ったら、ゆっくりうまく降らなあかん。それで初めて登山成功だ。上で終わったら、それは遭難だぞ』。
本当にうまい「たとえ」だなと感心しました。
山登りでもそう、賭け事でもそう、事業でもそう、上りよりも下りが難しいのは多くの先例が示すとおり。
高い山を目指して頂上にたどり着いた時の達成感は何物にも代え難いとは思いますが、下まで無事にたどり着いての山歩きですよね。自分の体力や、回りの状況、天候などを見極めて途中で下りる決断も時には必要でしょうし、運良く頂上にたどり着いたら、あとは細心の注意を払って安全に山を下りるという上り以上の大仕事を成し遂げる準備と覚悟が必要です。
私なんかはもともと臆病なタイプですから、高い山や危険な山を目指そうとも思いませんし、低い山でも十分満足できますので、それほど心配は要らないとは思いますが、人より少しでも高い山に登りたいという人は、心に留めておいていただきたい話でした。

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そろそろ仕事の終わり方を考える年齢になったら

日経ビジネスオンラインで河合薫さんという方の記事が毎回結構納得させられます。
今回は、出世を諦めて下山を覚悟した“マンネン課長”の悲哀というタイトルでした。
大関を引退した魁皇に関連づけて万年課長止まりの社員が出世街道をあきらめてどのように出世競争という山から下山していくかという話です。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110720/221570/

私はもう20年ほど前にサラリーマンを辞めましたので出世競争とは縁がありませんが、小さな会社でも会社の経営というのはかなりの体力と気力のいる仕事です。男の厄年といわれる42~43才の頃には体力気力もピークを過ぎたことを感じ、その頃から自分の人生設計を真剣に考えるようになりました。
当時は、とにかく自分の好きなこと、得意なことを仕事の中心に据えることで50才までは乗り切ろうと考え、会社の仕事も接客や営業からネット通販へ軸足を移してきました。
40台はそうやって何とか乗り切ることができましたが、やはり50台になると違う人生設計が必要になってきます。
ネットの仕事を続けるには集中力や気力があまりに衰えてきたことを痛感しています。世の中のめまぐるしい動きに付いていくのも難しくなってきました。
そんな中、長男が仕事の手伝いをしてくれるようになり、その仕事ぶりを見てやはり若さには勝てないなと実感しています。仕事ぶりは雑ですし、まだまだ分からないことだらけのようですが、空いた時間を見つけると別の用事を順番にこなしていく姿は、仕事と仕事の間の休憩時間がやたらに長くなってしまった今の私からはとても新鮮に見えます。

気力、体力、集中力、記憶力が日々衰え、知識と経験だけが若干積み上がっていく、そんな自分の能力を使ってこれからどのように会社に貢献できるのか、また、これまでお世話になってきた社会にどうして還元できるのか、素直な気持ちで焦らずに考えていきたいと思っています。

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繰り返し言われる「健康に影響するレベルでない」

今回発生した、牛肉の放射能汚染問題。
今回も、政府の発表は「健康に影響するレベルでない」ということらしい。
国の定める暫定基準値は、基準値レベルで汚染された食品を1年間継続的に摂取しても問題のない数値で設定しているためというのがその理由とのこと。
この件に限らず「それじゃ何のための基準だ!」といいたくなることが多い。
まるで後出しじゃんけんのように、問題が発生した後で問題ないと繰り返す。
そんな基準の作り方をするから、国の決めたルールを守らないのが当たり前、たまたま、ルール違反でつかまった人は運が悪かったという、意味の分からない法律体系になってしまうんじゃないの。
スピード違反の取り締まりだって、駐車違反の取り締まりだって、国民が守る必要がないと思うレベルの規則を作って、みんなが守らなくて、取り締まりもしなくて、たまたま取り締まりをした時に引っかかった人だけが運が悪かったとおもう法律って、絶対におかしいと思う。しかも、事故が起こった時にスピード違反をしていたのが原因だとマスコミまでもが騒ぎだすが、そもそもスピード違反が原因なら、日本中事故だらけだし、それを言い訳にしたら本当の原因を探して次の問題発生を阻止しようと言う思考が止まってしまって、事故の教訓が全く生かされないだけのことになってしまう。
法律の規制は100%国民が守るべきこと、それ以外の危険情報は個人が自己責任で考えること、そんな仕組みに変えていかないから、いつまで経っても国のやることは信用されないし、国民もたとえば、自分で危険なところに立ち入っておきながら、安全柵がなかったから転落してけがをしたなどと行政を訴えるような、無責任で思考能力のない恥ずかしい国になっているような気がする。

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あまりにひどい!松本復興相の発言

「先に部屋にいるのが筋」
「お客が入ってきたときは自分が入ってきてからお客さんを呼べ」
「長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ」
「わかったか?」
どういう素性の人かは知りませんが、日本の大臣としてあまりにひどい!
二人っきりの話の中ならまだしも、マスコミのいる前で県の代表者を相手に言うことじゃないでしょ。
これまでどんなことをして大臣まで成り上がってきたのかしれませんが、はっきり言って「最低!!」です。
被災地で問題山積の知事をつかまえてこんな発言しかできないような人間を大臣にする内閣も許し難い。
こんな大臣を更迭できないなら、民主党はさっさと下野すべきです。
東北の人は我慢強いと言われていますが、ここまで言われて私が宮城県知事だったら復興相のボイコットと、県関連施設への入り禁止を宣言するところです。
知事は笑顔でよく耐えた!本当にえらかった!
宮城県のみなさん、日本国民は応援してますよ。

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大阪市の生活保護

大阪市の平成22年度生活保護費が過去最高額を更新する2,910億円の見込みだそうです。
市税収入が6,091億円、国からの地方交付税等が1,222億円ですから、生活保護費が市の支出のいかに大きなウエイトを占めているかが分かります。
そもそもこの生活保護費ですが、急な事情で生活ができなくなった場合に支給される物だと思いますので、たとえば今回の東日本大震災のような場合にはまさしく活躍してほしい内容です。
ところが大阪ではそのような天災には関係なくこの保護費が年々増え続けています。まるで大阪市の主な行政活動が生活保護であるかのような様相を呈しています。
もともとこの生活保護制度には問題が多く指摘されています。
まずは年金との違いです。年金は国民が掛け金を払って老後に受け取る訳ですが、その基礎年金よりも生活保護費の方が金額が多いという矛盾。
生活保護を受けている人が本当は働けるのに働かない、生活保護されるべきではない人にまで保護費が支給されているという矛盾。
そして、この制度設計が国でおこなわれているにもかかわらず財源は地方自治体が負担するという矛盾です。
特に、この制度設計と財源の負担の矛盾に関しては大阪市ももっと強く国に対応を迫るべきではないでしょうか。
生活保護の方法も、現金で配るだけが能ではないはずです。住居の提供やミールクーポンの配布で代用することにより、必要のない生活保護者を減らすような政策も必要だと思います。国がそのような対応を真剣におこなわないのであれば、橋下流ではないですが大阪市は生活保護の手続きを拒否するぐらいのことを国に言ってみて欲しい物です。

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「ピーマン」から「ししとう」?

春先に種をまいて、温室でていねいに育ててきたカラーピンが、そろそろ収穫の時期を迎えるはずでした。
ところが・・・、できてきたのはどう見ても「ししとう」!?
一体どういうこと?と調べてみると、ピーマンとシシトウなどは種類が近い親戚のため簡単に交配してしまうらしいのです。
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たしかに、今年は去年育てたカラーピンマンからとった種をまいてみましたし、去年はカラーピーマンのすぐ近くにシシトウを何本か植えてあったのですが・・・、まさか半年がかりで楽しみに育てたきたカラーピーマンがこんな姿にしかならないなんて、かなりのショックです。
何本か(本来ピーマンなら何個かというところをこう呼ばざるを得ない寂しさ)とりあえず収穫して味見をしてみましたが、あじはピーマンでした。
でも、あのカラーピンマン特有の肉厚の皮は姿を消し、シシトウのような薄い皮です。
せっかくここまで育てたので、できる限り使い方を考えて収穫して行きます。

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白山スーパー林道ウォーク

先週の土曜日、白山スーパー林道ウォークに行ってきました。
これは、冬場雪のため閉鎖されている白山スーパー林道が開通する前の2日間、毎年歩行者に開放するという貴重なイベントです。
今年は、雪が多かったせいで、5月から6月に2週間延期して開催されました。
林道を歩くこと自体は舗装された自動車専用道路を歩くので、あまり自然に溶け込んだという感じではありません。片道5時間も掛けて日帰りした割には、日ごろ通い慣れた六甲山や、摩耶山を歩いている方が余程気持ちが良かったかもしれません。唯一の救いは1個所だけ林道から離れて渓流沿いを歩けるところがあることです。しかも、その先にあるのは、日本の滝100選にも選ばれている姥ヶ滝のまさしくその目の前にある露天風呂「親谷の湯」です。
この露天風呂、周りに囲いは何もなく、目の前の姥ヶ滝をのんびり眺めながら入浴できる最高のロケーションなのですが、本格的な一眼レフを持った若い女性がすぐ横で姥ヶ滝の写真撮影をしていたり、この風呂からほんの5mほど上にある足湯に2組の熟年ご夫婦が足を浸けていて、そこからも丸見えだったりというこで、女性でなくても若い男の子なら入浴を躊躇してしまう場所でもあります。(もちろん脱衣場のような小屋もありませんので、ただ風呂の横で服を脱ぎます。)
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幸い50を過ぎて羞恥心もほとんど無くしましたので、堂々と入浴してきました。写真は、家内に撮ってもらいましたが、誰でもこの風呂の横まで自由に出入りできることがお分かりいただけるかと思います。
源泉がかなり熱いためお湯が少しずつ浴槽に流れ込むように余分なお湯は竹筒を使って川へ放流しています。泉質は肌がしっとりする感じで、かなり良いような気がしました。景色と、滝川の音と、お風呂を満喫できて白山への旅行は結果的に大変充実したものとなりました。

スーパー林道開通後は車を渓流沿いの道への分岐の所に止めて少し歩くだけでこの露天風呂にたどり着きますが、スーパー林道の通行料は3千円以上するようですので、かえって行きにくいかもしれません。

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「二重ローン」問題-場当たり的社会主義国日本

「二重ローン」問題が東日本大震災関連の一つの大きなテーマとなっています。日弁連会長は、ローンを帳消しにする徳政令が必要と言っているようですが・・・。
困った人がいたらみんなで助け合う。日本人の良いところだと思います。とりわけ大阪人はお節介で、道で地図を見ている人を見ただけで放っておけないのです。そんな大阪人の一人として、二重ローンに苦しむ被災者を救える方法があればそれはすばらしいことだと思います。
その一方で、二重ローンに苦しむのは、何も東日本大震災の被害者だけではないのも事実です。世の中にはいろんな災難が待ち受けています。地震に津波、大雨や火山の噴火。口てい疫や、O157、補償されない隣家の火事など、数えればキリがありません。その中で、日弁連の会長が言う「前代未聞の災害で、従来の災害対策立法の枠だけでは被災者の救済も復興もできない」の意味が分かりません。前代未聞の災害であることは分かります。被災者の救済や復興が困難なことも分かります。ただ、東日本大震災だけを特別扱いする理由が分かりません。
全ての災害は均一に扱い、同じ基準で救済するのが筋ですし、それが法治国家ではないでしょうか。
全てを救済すると国家財政が成り立たないと言うのなら、成り立つような救済内容を定めてそれを東日本大震災にも適用するという順序を踏むべきであって、大勢が被災したから、声が大きいから、みんなが見ているからといった不公平きわまりない政策を政府にはとって欲しくないものです。

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